2025/05/20

早寝早起きをしてみようと昨夜は22:30くらいから何度も起きつつ寝てを繰り返し時差ぼけのような朝です。

家内が動けないので図書館へ本を取りに。

昨日寿司を食べたのですが体は浮腫み気味、夜にししゃもを食べた時に「これヤバいな」と思いつつだったので、もしくは白米を食べ過ぎたか。

12:00

昨日作った命の野菜スープから、体に溶け込んでくるのが分かる優しさ。

12:30

久しぶりに拭き掃除がしたくなり、やっぱりスッキリする、行動を変えたければ寝たり起きたりする時間を変えればよい、ただそれさえも気分次第で無理にやるのは体に良くない、気分がそうならそうすればよいです。

自分の中の多様性を認めてあげる事、周りは黙ってそれを見守る事、何も手出しをしない、それが大切なのではと思います。

13:00

排便アリ、命の野菜スープに感謝です。

13:30

家内が遠くまで歩ける状況になく近所の自然派系のサラダとカレーを、調子が良くなかったのでよく噛んで食べるとスッキリ、体調が良くなりました。

僕は普段から食べ物は飲み物とばかりに飲み込むので気を付けないといけません。

15:30

排便アリ、サラダやカレーが良かったのかむくみが引きお腹が引っ込みました。

食べたい物を食べた後に体調が良くなっている、ようやく普通の人になった、食べたい物を食べると体が浮腫む、本能を疑うようになってしまうリーキーガット症候群は恐ろしい病気でした。

僕的には酒が効いた感覚があります。

19:00

今日はさらに家に近い居酒屋さんへ、いつもより少しだけ高いところ、おばんざい、唐揚げ、お造り、出汁巻き卵、おにぎり、価格が10%違うと味が全然違う、悩ましいところです。

今日の居酒屋さんはとてもアットホームで赤ちゃんや子供がワイワイ大騒ぎしていました。

ふと僕は変わったなと、先日酔っぱらいが後ろから倒れてきた時もそうだった、以前なら「うるせぇなこのクソガキ」とか「喧嘩売ってんのかこのオヤジ」となっていたのが「皆好きなようにしたらいいよ」と思う、家内が喧嘩を始めるのではと一瞬顔が引きつるのですが穏やかな僕を見てホッとします。

メンタルが1990年代に戻っている感じ、許せる時代というか、余裕のあった時代、そんな感じがしています。

心に余裕のある人になるためには健康である必要がある、化学物質過敏症の人が過剰に攻撃的になるのは不健康な自分を守るためにそうならざるを得ない、だからおかしな事を言っていたとしてもそれがその人だとは思わない、いつか僕のように皆なるんだろうと思います。

演歌のかかったビニールシートで囲っただけのお店で焼き鳥を食べながら蒸留酒を飲む、そういう食事が幸せを感じます。

楽器の練習をしている時、天気の良い日に家内と散歩をしている時、すれ違う事も出来ないような山道をドライブしている時、清流を見ている時、里山整備をしている時も楽しいです。

僕の思う楽しい時とはその時に死んじゃったとしてもしょうがないかなと思える時、逆に言うともし明日死ぬなら何をするかという事をやれているという事でもあります。

何かに夢中なまま気が付いたら死んでいた、それが僕にとっての幸せです。

27:30

家内が手塚治虫さんのブッダを勧めてきたので読んでいると体調が悪かった頃が懐かしくなりました。

どんなものを食べていたのか思い出したくなりカビているかもしれないライ麦パンとラム酒を。

何とも味気なかったのでピーカンナッツを一緒に食べるとまあまあ美味しくなりました。

消化に悪そう、実際に悪いかとかではなく美味しくないから腸が働かなそうなイメージです。

卵料理とかソーセージとかと一緒に食べたい、食べ方はドイツ人に聞いたほうが良いのかもしれません。

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