2025/07/01
体調はすこぶる良好、肌もスベスベで二日酔いも無し、肝臓にも命の野菜スープの何かが効いています。
13:30
喫茶飯へ、ビーフシチューハンバーグ煮込み、とても美味しかったです。
本当に暑くなってきたなと、家内が「手が本当に温かくなったね、コアラ鼻は完全に治ってると思うよ」と、僕は単に外気が暑過ぎるだけだと思いましたが昨年と全然違うようです。
19:00
命の野菜スープを、飲む前に飲むのが僕的に一番良いタイミングです。
19:30
いつもの串揚げ屋さんへ、刺し盛、きびなご南蛮漬け、串10本、いつも美味しいです。
寝不足で一杯でかなり酔いました。
ただ「寝ていない」というだけでこんなに違うのかと。
思い返すと当時よく寝れませんでしたが体調は良くならない、それを数年間続けたわけなので病気にもなる、実際は病気だったから寝れなくなった、浮腫んでいる事も寝れていない事も自覚出来ていなかったわけですが。
たぶん仕事だから、金のためだから、仕事はしなくてはいけない、そういう強制が始まりだったと思います。
一人部屋に閉じこもり時間に関係なく曲を作ったりするのが好きな人間がいかに金を作るかに邁進していた、それを間違ってると認識しながらも、そこがスタートだったような。
病気が治せた事の理由の一つに仕事から距離を置いた事もあったかもしれない、家内が「もう引退でいいんじゃない?」と、最も僕を客観視してきた人間がそう感じている事はもう少し重く感じても良いかもしれません。
やりたい事の為にお金がいくら必要でと人生設計出来る人は多くない、そもそも何が好きなのか気付いていない人の方が多いと思いますが、自分に言い訳をして終わりなき欲得にまみれるのは絶対に違う、自分の人生あっての仕事であって仕事ありきの人生は不幸にしかならない、その線引きがたまたまうまくいって完治した、そう指摘されても反論出来ないと思いました。
10代の頃から感じていた「何となく過ごした時間は必ず何かを取り戻しにくる」その何かが自分にうまく説明できなかったですが、今思うと「本能」だったんだろうなと。
もうそういうのはやめろと本能が警告を出した、年を経るごとに傲慢になり勘違いをしここまでの事になってしまった、それでもまだゼロに戻せているので強運だったと思います。
今日もコンビニおにぎり、何となく二つ必要な気がしてこんぶと梅を買ってきました。